小田原生まれ。小田原高等学校、京都大学法学部卒業。
[1988年]
(株)コーポレイト・ディレクション(経営戦略コンサルティング)入社。
素材開発、損害保険、不動産仲介、建材開発、大規模再開発、飲料開発などのプロジェクトに関わる。
[1992年~1996年]
子どもと生活文化協会(CLCA)初代事務局長。
子どもを取り巻く暮らしの在り様に関する提言や啓蒙活動を行うと共に、子どもたちが生活力を身につけ、また各分野の第一級の人物に出会うような機会を数多く設ける。
阪神大震災をきっかけに、神奈川県の県民交流集会の西湘地区実行委員長を2002年までに7年歴任、観光・青少年・地域づくり、市民活動、コミュニティ論などを取り上げてきた。
[1996年]
長女の病気療養への対応もあり、自給自足を目指して独立。
以来、小田原にて林業、漁業(公設魚市場、定置網漁業)、農業(有機農法、最盛時:田12反、畑6反)などを手がける。
この時期、地産地消の推進と地域の農を守ることを目的として「あしがら農の会」の立ち上げに参加。
[1999年~]
栄町共同ビル(オービックビル、小田原の中心市街地にあるテナントビル)事務局長 。
同ビルにて、空き店舗を活用し、全国初の女性チャレンジショップや、SOHO対応のメンバーズオフィスなどを開設。
[2001年~]
小田原市政策総合研究所市民研究員として、地域が誇る「なりわい(地場密着型産業)」再生を提唱、駅前に「なりわい市場」などを開設。
ほっとファイブタウン(小田原の街づくり組織)理事として、中心街の活性化事業を企画・実施。
[2002年]
小田原インキュベーションフォーラム(IFO)を設立、事務局長。
小田原周辺における起業家予備軍の掘り起こし活動を実施。
[2003年]
国土交通省関連の審議会(とりまとめ:都市経済研究所)に委員として参画。
富士山を取り巻く広域圏の連携と活性化につき検討。
11月、後援会組織である「おだわらを拓く力」が設立される(会長・飯田和)。
[2004年]
5月の小田原市市長選挙に無所属で立候補。得票数31,244票と健闘するも、約6,000票差で敗れる。
9月、足柄平野周辺地域の社会・経済活動に貢献すべく、シンクタンク「有限会社あしがら総研」創立。
11月、新潟中越地震の復興支援のため、川口町でのボランティア活動に参加。
[2005年]
「ボートピア問題」「城下町ホール建設問題」「お城通り再開発問題」等、小田原駅周辺の課題に多くの市民とともに取り組む。
市民自治・産業・環境・福祉等について先進的な事例を勉強するため全国を飛び回る。
地元地域の子ども会活動(会長)、小学校PTA活動(会長)などにも精力的に関わる。
[2006年〜2007年]
持続可能な地域づくり視察のため、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、を訪問。
平和友好団の一員として、中国を訪問。アジア農村部視察のため、タイを訪問。
[2008年~2011年]
小田原市長選挙に無所属で立候補。44,108票で当選。市長1期目として活躍。
[2012年~2015年]
2012年5月の小田原市長選挙に無所属で立候補。41,818票で当選。市長2期目として活躍。
[2016年~現在]
2016年5月の小田原市長選挙に無所属で立候補。無投票で当選。現在市長3期目として活躍中。